1日1本のアニメ映画を要求する!

嫌いな小説は森絵都の「カラフル」

195.ドラゴンボールZ とびっきりの最強対最強(クウラ) D

バトルシーンが結構凝っていて、さらに中尾さんの演技もすごい。フリーザと完全に演じ分けができていて、フリーザの高飛車さとは違った「不気味で冷酷な(余裕を許さない)威圧感」をうまく醸している。冒頭の描写がうまくオチにつながっていく演出もスラッグ以上に物語として高質に仕上がっているし。ドラゴンボールの映画を純粋エンタメとして評価した場合、これは上の方に来るんじゃないだろうか。実際二次創作とかでも人気あるらしいし。
映画だとウーロンの出番が多いんだけど、なんでかと思ったら声優が龍田直樹さんだからなのかもね…山ちゃんのせいで目立たないけどこの人もめちゃくちゃ演技の幅が広いすさまじい人だと思う。
あとちょっと笑ったのが、この映画を最後にハイヤードラゴンは影も形もなくなるんだけど、それを根拠に「ハイヤードラゴンはクウラに殺された」という言説があるのだとか。これはちゃんと理由があって、「殺されてしまう」とはっきり書かれている。
https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/movie/movie_dragonballz_saikyou/story/ これのクウラの項目。まぁしれっとなかったことになってたみたいだけど、まぁ尺稼ぎのための生き物だから殺されても致し方なしとは思う。
それに関連して、ポケモンアニメにはユクシーだかアグノムだかが殺人をした、みたいな説を好むバカがいるんだけど、その理由が「湖にあるキャラを沈めて、そのキャラがそれを最後に出てこない。ということは死んだのだ」みたいな結論が彼らの頭の中で成り立つかららしい。過程すっとばしすぎというか、誰もまともに相手をしないのを「反論がない=これは正しい」って思い込んでるバカだ。
ハイヤードラゴンみたいに根拠があったり、野獣先輩新設シリーズやMMRみたいにネタとして楽しむんだったらむしろ俺も「んなあほな」って言いながら笑うんだけど、どうも真剣に言ってる派閥がいる。政治しかり陰謀論しかりエスニックジョークしかり、バカにインターネットを持たせるとこうなるんだなぁ、って感じのものが妙に多い。Youtubeは人間の平均知性を、IQでいえば10~30くらい下げてしまったと思う。

194.ドラゴンボールZ 超サイヤ人だ孫悟空(スラッグ) D

感想:まだスーパーサイヤ人になる前の映画なんですね。そんな時代もあったのね…。
ハイヤードラゴン…尺稼ぎのために生まれた悲しい生き物なんだけど、これ龍田直樹が声あててるんですよね。ソコロフとかウーロンとかひげじいの人。あの人演技の幅が結構広くてオールマイティなんですよね。すげぇな。
尺稼ぎのハイヤードラゴンパートを過ぎたら、あとは密度があるように感じる。ほんとにターレスとかブロリー2とかバイオブロリーとかボージャックとかは、映画の中身のあまりの虚無さに対して怒りがわいてくるレベルでスッカスカだ。これに比べると本当に中身ががっちり詰まってる気がする。そして素晴らしいのが、この尺稼ぎパートが伏線になっていることだ。
スラッグが若返った後の演技の切り替わり方とかもすごい。要はピッコロ大魔王編を下敷きにして劇場アニメ作るわけなんだけど、「ナメック星人の敵」っていうのも、いそうでいないといういいラインを攻めていると思う。
映画の出来自体はさっぱり微妙(ぶっちゃけ大半の映画はバーダックのTVSPよりつまらないし…)なんだけど、ちゃんと「映画」を作っていることが分かる。それが生み出す熱量や、かつてのレジェンド声優たちの熱演を見れるので、ボージャックの後というのも手伝って結構楽しめた。

193.ドラゴンボールZ オラの悟飯をかえせッ!!(ガーリックJr.) D

感想:ピラフ一味のような体型のボスだとか、神様の戦闘シーンとか、武器を使った戦闘シーンだとか、今だと時代を感じるものが結構あるので逆に新鮮。神谷明さんの演技とかもあるし。温故知新というか、80年代に陳腐だった表現が20年代だと新鮮に感じるような面白さが詰まっている。
決して面白いわけではないが、ターレスとかボージャックは前半がルドヴィゴ療法みたいなレベルの拷問だったことと比すれば再評価されてもいいんじゃないだろうか。あと酔った悟飯が鬱陶しい。
それにしても副題で中身が分かりにくいの本当にダメダメですね、ドラえもんの映画ってホントに面白かったんだなって再確認したよ。

192.ドラゴンボールZ 銀河ギリギリ!!ぶっちぎりの凄い奴(ボージャック) E

感想:この映画の正しい楽しみ方は、ザンギャの出るシーンを見た後にPixivあたりで「ザンギャ R-18」って調べることだ。問題があるとすれば、ぶっちゃけそれならドラクエの眼付悪い女キャラで済むことだ。これ、TVSPじゃなくて劇場に見に行くアニメなんでしょ…?ブロリーの映画って相対的にほんとにおもしろかったんだね…。
冗談抜きで「3~4倍速で見てちょうどいいくらいの密度のなさ」。大事な部分だけ残したら2分も残らないぞこれ。バトルメインといえどそれだって7分程度でいいだろうし。これ見るくらいなら「もしもブロリーが~」シリーズ見た方が絶対有意義。クソ映画はたびたび話題になるけれど、ここまで味がないものについて何を語れというのだ。冗談でも嫌味でもなく『ザンギャのR-18画像の方が情報量ある』。すごくて逆に感嘆の息が漏れた。
オリジナルでエピソードを作れる(原作に追いついてしまわないように足踏みする必要がない)にもかかわらず無駄な部分が多すぎるのは、もうスタッフの中に『純粋にエンターテインメントとしての』アニメの作り方のノウハウが残ってなかったのだ。ただドラゴンボールというコンテンツを延命させるためだけの作品しか作れなくなっていたのだ。ドラゴンボールGTが尺稼ぎの引き延ばしだらけだった理由も分かる。
しかもこれで味がある方なのだ。テレビはこんなのの比じゃないくらい味がない。「ドラゴンボールのスタッフシリーズ」っていうネタがあるんだけど、冗談でも何でもないんだよね…最近はセルのコピペが嘘だったってネタで冷笑オタクたちが自分の年上の世代がうそつきだとせせら笑っているようだが、本当にこの時代のダメな部分を反面教師に成長したってことを理解できないのだろうね。オタクがジョックより賢かった時代もとうに終わったのだと思う。大好きなコンテンツならこういうものでも全力で楽しめるような層が、今のオタクのメイン層なのだろうね。つまらないものにつまらないと言えないオタクは、バカではなくビョーキなのだ。
まぁこういうのの失敗から「萌えアニメ」みたいなのが進歩したのかなぁと思う。つまり「顧客が本当に見たいもので中身の薄さをごまかす」。それはそれでいいと思うんだよね、説教臭いアメリカ映画見せられるよりは全然面白いと思うし。ポリコレって意味じゃなくて、どうもアメリカ的な道徳観でものを語られる映画って好きじゃないんです。ここ最近は文化盗用云々とかで味がはっきりしない映画の方が多くなっててなおのこと。我々は日本人なんだぜ?日本の映画を見なくちゃね。

191.君の名は。 S★

概要:ある朝のこと。神社の娘で悩める17歳の宮水三葉は「自分は昨日とてもおかしかった」と言われた。ノートにも「お前は誰だ?」と書かれている。祖母と父の不仲だったり、神事で口噛酒を奉納した姿を同級生になじられたりと心にダメージを負う事も多く、「来世は東京のイケメン男子になりたい」と叫ぶ。その翌日目が覚めると、自分は東京都心の男子高校生「立花瀧」になっていた。多分夢だからいいだろうと色々満喫して眠りにつくと、今度は瀧の方が周囲に「昨日はおかしかった」と言われる始末。2人は次第に、どうやら自分たちは入れ替わっているのだと気づき始めるが、ある日を境に入れ替わりはぱったりと途絶えてしまう。瀧にとって三葉は3年前の人間で、しかも彗星災害の犠牲者だったのだ。


感想:この作品でオタク界隈はひとつの転換期を迎えた、とさえ言えるレベルのエポックメイキングな作品。秒速をモノリスと評したが、この作品はスマホの登場みたいに時代を塗り替えたとさえ思う。この作品は新海誠の最高傑作と言って過言ではないどころか、これ以外を傑作にするとさすがに穿ちすぎな感がある。久々に見たけれど、やっぱり微細な演出力が以前の作品に比して抜きんでている。
この映画はもう開幕5分の時点で強く、何か思わしげでセンチメンタルな導入からOPの映像、そして自分のおっぱいを触る謎の女とそれを訝る妹ですでにコミカルなつかみがばっちりである。よくある入れ替わりものかと思いきや、そこに時間の要素を突然ねじ込んで、ぜんまいの切れるような効果音で不吉を暗示する演出から一気にシリアスになっていく。彗星から救おうとするところもまたすごい。「うおぉぉぉぉーーーー!」という遠吠えのようなボーカルの直後に、重ねるように「ウゥゥゥゥ――――…」という防災サイレンが重なって、そこでぐっとくる間奏が入る。三葉(と視聴者)には死の象徴なのに、幻想的な空の景色とBGMが合わさって、心の中にすさまじいコントラストを産むのだ(これはOPとクライマックスで同じ映像が使われているシーンでも言える)。ここで一気に終盤に向けて話が動き始める。BGMとストーリーが完全にリンクしていて、初見の時に鳥肌が立ったのをよく覚えているし、今もこのシーンは繰り返し見てしまう。
さらに表情の妙がすごく、特に瀧と三葉が山頂で再会した時の三葉の泣き顔だとか、クライマックスの電車の中で目が合った時の驚愕だとか。こういうのは本当に、文章ではなく表情じゃないと見れないものがある。
クライマックスシーンも素晴らしい。これまで新海誠って恋は結局終わるものという話を結構書いていたわけなのだが(言の葉の庭が当時としてはかなり特殊な例で、「雲のむこう~」は結局最後別れましたというのが冒頭で暗示されている)、そこでくっつくわけで。新海誠を追い続けたファンはここで複雑な思いをいだいたものである。「新海、日和ったか!」と思いつつも「でもよかったねぇ!ハッピーエンドだよねぇ!」って。
BGMもまたいいのだ…天門もよかったのだが、天門はセンチメンタルすぎてこういう映画には合わない。雲のむこう~ではほぼ常に垂れ流しだったBGMは、この話だと完全にメリハリをつけて使われており、BGMのない部分が効果的に使われているどころか、雑にぶつんと切ることで瀧の感じた喪失感を視聴者に共有させることにも成功している。
そして最高なのが、タイトルの「君の名は。」があらゆるところで様々に回収されているという点。冒頭の「お前は誰だ?」とラストの「君の、名前は…!」でしっかり回収されているのだ。


で、この映画(と「言の葉の庭」「天気の子」)で一番言いたいポイントは、物語やアニメーションで善・清として扱われる「彗星」や「太陽」を邪悪なものとして、逆に陰鬱なものとして扱われる雨などを愛情のワンシーンとして描くことで、世界観を「二人だけが理解できるもの」という閉じたものに落とし込んでいる点。これが演出としてすさまじい。BGMの歌詞が「運命だとか未来とか」になったところの、すごく美しい彗星のアニメーションが、この場合は終焉へのカウントダウンなのだ。その前手で誰もが(糸守を救った当事者の瀧でさえ)美しいものと認識しているが、真相を知る人にとってはさし迫った破滅なのだ。
彗星が落ちた後の瀧の就活のシーンも「秒速5センチメートル」第三部の演出に近いものが使われている。


新海誠によくあるオカルティックなものも理解しやすい域にとどまっている。この話は入れ替わりもののように思えて、実は冒頭と末尾の「初対面の再会」を作り出すための舞台装置なのである。いわば「前世の恋が現世に影響を及ぼす」という、江戸時代とかなら受け入れられた話を現代のオタクの納得できる形に仕立てているのだ。小説版もまたよく、答え合わせ的な空気がある。奥多摩とか行くとなんとなくロケーションが感じられてさらにいとおしい作品にまでなる。ここまでくるともう、東京に住むオタクにとっては最高の傑作たりうるのだ。
弱点がないわけではなく、話の起伏の問題で中間部~後半前半がちょっとだれるのが弱点で、何度も見ているとどうしてもこの辺で疲れてきてしまう。あと一番感動と涙を誘う再開のシーンから最後の再会までに15分近くある上に山場が複数あるから情緒のやりどころに困るのも。ただ就活のシーン(=非常に世知辛い現実)をもって「夢の終わり」を示すってのはいいんだけどね…だからこそ最後の再会がぐっとくるわけだし。歩道橋のシーンなんて視聴者の大半が気ぶりじじいになったでしょう。「抱けぇぇぇぇぇーっ!!!!!抱けぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーっ!!!!」
お色気描写が結構多いこともあってかなりオタクっぽいんだけど、この時期はもうオタクという生き物が非常に大衆に理解されるようになっていたという時勢も手伝ってたいへん話題になった作品で、日本における記録を千と千尋からさらに塗り替え、東アジア方面ではものすごい反響をもたらしたらしい。「ジャパニメーションはもはやスタジオジブリだけではない」ということを数字というアホでも分かる形として証明したものと言えるだろう…ただ思うんだけど、2024年に入ってからあらゆるものが物価高になってることや、オタクの在り方が単にコンテンツや特定の監督・声優を崇拝するものになってしまった現在、この映画が切り開いた境地はオタクが自ら閉ざしてしまった感がある。


アメリカでは評価されなかったというが、それは「ジャップの頭の中の外国がアメリカしか存在しない」のだ。アジア圏では評価が高いわけだし、アメリカンな道徳押し付けクソ映画を楽しむくらいなら自分の首を切り落として死んだ方がましだろう。
俺が欲するものはこの作品の二次創作にこそあり、それを見ていればいいことに気づいたのは、この映画の公開から9年経ってからのことであった。あーあ、俺はなんて無駄な時間を…。

番外3.ルパン三世 さらば愛しきルパンよ C

概要:ある日、町を人型のロボットが宝石店を襲撃する事件が発生し、しかもルパンが「ロボットの危険性に気づくまで犯行を続ける」と犯行声明を出した。銭形警部はルパンを偽物だと睨んで捜査を進めたが、また出現したロボットに自衛隊の戦車が発砲してしまい、町は大パニックに陥った。
ロボットの追跡の道すがらでルパンのアジトに乗り込んだ銭形は、そこで捕らえられ、ロボット兵「ラムダ」を操る少女「小山田マキ」と出会う。マキの目的は「世間にロボットの危険性に気づいてほしい、罪は償うつもりだ」「父のロボットへの熱意が悪用されてしまったし、世間に言っても軍事機密扱いで握りつぶされてしまう」「もっと恐ろしいロボット兵器が投入されようとしている」と語るが、銭形は非情に「(あの騒ぎで)何人死んだかな」と返す。その危険性をアピールすると、軍人が飛びつく。つまりマキのテロ行為はロボット兵の宣伝にすぎなかったのだ。
マキに出撃命令が下る。マキがラムダに登場している中、銭形はダイナマイトを投げ込まれて爆殺されそうになるが間一髪で脱出に成功、飛行するラムダに乗り込む。彼はなんとルパン三世だったのだ。そのままルパンは偽ルパン一味のアジトへ乗り込み、本物の次元と五ェ門とともに偽物とその親玉「永田重工」のお偉いさんを捕らえ、風のように去って行ったのだった。

感想:よく「ルパンっぽくない」と言われるが、確かにラピュタとかを知った後だと「ルパンじゃない!」ってなるのはすごくよく分かる。ラムダやその後に出てくるシグマがラピュタ兵の顔なんですよね、ちゃんと2つのボタンが光って。
脚本の内容がものすごく攻めていて、「本物」が出るシーンが本当に少ないのだ。だからアルバトロスはともかく、これはお蔵入りされてもしょうがないエピソードかもしれない。
BGMにカリオストロの城クラリスとルパンの逢瀬で使われた「炎のたからもの」のアレンジが使われていたり、ヒロインが声まで含めて思いっきりナウシカだったりと、なんとも当時の宮崎駿イズムにあふれている。よくカリ城ナウシカラピュタの穴埋めだとかプロトタイプだとか言われる作品。

番外2.ルパン三世 死の翼アルバトロス A

概要:すき焼きパーティーをしているいつもの3人のところへ不二子が逃げてくる。直後不二子を追う怪しい男たちの銃撃を受け、すき焼きが台無しになってしまった。すき焼き鍋の中には小さなプラグが入っていた。それはなんと、超小型原子爆弾の発火プラグだったのである。
銭形に変装して「ロンバッハ航空博物館」に探りを入れたところ、そこには50年前の超大型の飛行艇「アルバトロス」があり、その中は原爆の製造プラントになっていた。館長のロンバッハ博士は正体を見抜き、発火プラグと不二子を交換しろと取引を持ち掛ける。果たして不二子との交換を行うと、それは変装していた銭形(本物)で、ルパンは次元とともに逮捕される。
とっつぁんに「あれは原爆のプラグだ」と言ってもまったく信じてもらえず万事休すとなったルパンは、五ェ門の助けで窮地を切り抜ける。その後追ってきた銭形も交えて、空を飛んだアルバトロスとの空中戦を経て原爆の製造プラントの破壊に成功、銭形は脱出したロンバッハを地上で逮捕。ルパンは不二子が隠し持っていた原爆の製造方法のメモを取り上げ、次元はビリビリに引きちぎって空へ投げ捨てる。
備考:脚本・監督は宮崎駿

感想:24分程度なのに「ロシアより愛をこめて」とか「バビロンの黄金伝説」より面白いのは何なの!?あと作画がものすごい。特にバビロンに比するとわざわざ劇場で上映したものよりもこういう単品話の方が面白いってのがすごいんだよなぁ…。「くたばれノストラダムス」あたりよりも面白いかもしれん。