非常に端的に:地底に広がる爬虫類人種の発見と交流を描く
あらすじ:ある日、のび太は「恐竜はきっと生きている」とスネ夫たちに大見得を切ってしまうが、ドラえもんのひみつ道具「○×うらない」でも「地球上に生き残っている恐竜はいない」と判定され落胆する。ところがスネ夫は多奈川で巨大な生物を目撃し、それが恐竜ではないかと憔悴する。
のび太は0点の答案を隠すためにひみつ道具の「どこでもホール」を使い、偶然にも地底にある大空洞を発見、いつもの5人で自分たちだけの世界を楽しむのだが、スネ夫は恐竜の正体を突き止めるべく単独行動をして行方不明になってしまう。ドラえもんたちはスネ夫を探すうちに、恐竜の闊歩するジャングルへと迷い込んでしまう。そこには地上人には発見されていない地底世界が広がっていたのだ。
人食い人種につかまってしまった4人は竜の騎士「バンホー」に助けられ、「何の危害も加えずに丁重にもてなすが、地上に帰す手続きのために2,3日滞在してもらう」という旨を伝えられ、スネ夫とも再会する。彼らはステノニコサウルスから進化し、高度な文明を築き上げていた恐竜人だったのだ。しかし地底世界を見学する中、のび太は偶然にも巨大な軍艦を発見し、悪そうな顔の大司教による「恐竜時代のように地上を爬虫類が取り戻す」という計画を聞いてしまう。このままでは地上が危ないので逃走を図るが、またしても人食い人種につかまり、バンホーに助けられる。バンホーは「信頼を裏切ることは一番深い罪だ」と5人を非難するが、計画を知った5人への処罰を寛大にしてもらうように進言する。
軍艦は超巨大なタイムマシンだった。彼らは「栄華を極めた恐竜が絶滅したのは、宇宙からの侵略者が介入したからだ」としてその侵略者と戦うべく軍事演習を繰り返すという遠大な計画を練っていたのだ。果たして恐竜絶滅の日に来た5人と竜の騎士団だが、ドラえもんの優れたひみつ道具に何度も出し抜かれた竜の騎士たちは「もしや介入者はドラえもんではないか」として襲撃、ドラえもんも籠城の構えを見せる。
しかしその戦闘のさなか、彗星が地球に衝突。ドラえもんたちは避難のために「ポンプ地下室」を使って北海道程度の広さの地下空間を作って何とかやり過ごすが、この不自然な正方形は地底世界で「聖域」とあがめられている場所とまったく同じ場所にあるものだった。地上の惨状に愕然とする竜の騎士たちにドラえもんたちは降伏を申し入れ、恐竜絶滅の原因についての学説を説明。これもすべて神の思し召しと落涙する彼らに、作ってしまったポンプ地下室を提供し、そこに地上世界と同じような地形と植生を再現したうえで地上に生き残っていた恐竜を避難させることを進言。聖域に逃れた恐竜たちが、今後バンホーらと同じ爬虫類人種を作る基礎を作り上げた。歴史の真相を知った彼らはドラえもんたちを英雄とたたえ、地上に送り返したのだった。
感想:この作品の恐ろしいところはとにかく「邪悪」がまったくの不在であるという点。ジャイアンやスネ夫、ゲストキャラ全員を含めてとにかく全員やたら人間ができている。3回脱走された不法入国者に対してきわめて寛大な処置を施したり。一見悪人面の大司教も壮絶な善人だ。ほかの作品の悪役なら「いや認めない 自分たちの力で歴史を捻じ曲げる!」となっていくものがすんなりと「神の思し召しならしょうがないね!」とあきらめてしまうのだ。ベネディクト16世に縁の深い我々なら「単なる悪人面の司祭」というキャラ付けをすんなり飲み込める。
ただ、ここがやっぱり人によっては「悪い奴をやっつけてすかっとしたい!」派にはあまりウケがよくないようで…俺はこういう話の方が好きだから、どうもこう…。
個人的にのぶ代ドラは、「しずかちゃんが「のび太君」と呼んでいる時期(前期)」「しずかちゃんが「のび太さん」と呼んでいる時期~F先生の逝去(中期)」「それ以降(後期)」の3つの時期に大別できると思っているのだが、この中期部分は脂の乗った作品が多い。竜の騎士はその作品の例として挙げていいだろう。テーマ曲もノリがよくて、前期ドラ映画の色がまだまだ濃密に残っている。
ドラえもんマニアの間では、たびたび「雲の王国」と比較される。ゲストの性格が文字通り天と地ほどの差があるのだ。