非常に端的に:当時の流行だった「環境問題を論じる『情勢と戦うアニメ』」。
あらすじ:ジャイアンたちに天国がある証拠を見せてやると見栄を切るが、天国がない証拠を突きつけられてしまい落胆するのび太。しかしドラえもんが「雲の上に天国を作ってしまえばいい」と提案し、大きな雲の上に「雲固めガス」を使って雲の王国を作ることにして、太平洋上に出した上で「マジックドーム」で見つからないように工夫するが、その中で不思議な流木地帯と襲ってくる奇妙な雷雲に遭遇する。
のび太は雲の王国の自慢と完成を早めるために3人を誘ったが、雲の上なのに突然地震のような衝撃が襲う。海抜3000メートルを超える山の上で半裸の少年と亀のような生き物が歩いているのを見た彼らは剣呑なものを感じ取りつつその少年を保護して看病したが、翌日その少年は姿を消してしまった。のび太は探すうちに、絶滅動物の楽園と化している天上界に迷い込む。天上人のパルパルに案内されるが、もう一人の天上人グリオは非常に愛想が悪く、しかも妙に秘密主義的だ。彼らはノア計画という地上の文明リセット計画を企み、しかも地上人の言い分にまったく耳を貸そうとしない独善的な集団だった。
何とか王国を脱出できたドラえもんとのび太は、同じく脱出を企図した4人の密猟者とともに、独善的な天上人に言い分を聞かせる抑止力「雲戻しガス」の砲弾を構えて話し合いの場に立とうとするが、密猟者が勝手に大砲を撃ってしまう。もはや戦争が避けられないと知ったドラえもんは責任を取るべく、自らの命を賭して雲戻しガスの貯蔵庫に穴をあけ、自らの国を犠牲に密猟者の蛮行を食い止めた。
パルパルはこの行動を理由に「地上人にもいい人はいる」という論を展開。過去にドラえもんに世話になった者たちも彼らを弁護する。決定的になったのが、移民問題の競技のために来ていた植物星大臣のキー坊の弁護だった。ノア計画は無期限延期され、のび太たちは自分たちが環境問題に取り組んでいこうと決意しながら日常に戻る。
感想:独善的な天上人というあたりがなんかアメリカンなSF。アメ公は民主主義で英雄作るのほんと大好きだからねぇ…だからアメリカに視野を向けて作られた勧善懲悪系の映画って死ぬほどつまんないんですよ。
また、こういう政治的な部分に踏み込むアニメというのも今だとかなり煙たく感じるが、今も今で、たとえばスポンサー批判を許さないという文化が2006年あたりのニュースで決定づけられ、言論の自由が死んだ。歴史の問題は中国・韓国・台湾などの諸外国に向けて作る以上論ずることができない。教師と生徒の恋愛みたいなのも、アメリカの文化圏では不潔とされるので作れない。言論の弾圧はないかもしれないが、逆に拝金主義が自ら創作を狭めている。その結果が今のポルノみたいなオタク文化で、単にキャラデザがちょっと異なるだけで声優は毎度おなじみの大御所ばっかり。つまらんよ。
だからアニメ映画が本当の意味で面白かったのって、こういう「アニメが論陣を切る」時代だったんじゃないかなーと思う。この時期のアニメって要は「今の観点からみると古臭い」だけであって、今のは心理学の面から研究されているだけの合格点映画でしかない。それって虫や鳥を飼うのとなんら変わらないと思うんだよね。オタク映画でさえそうなっちゃったんだからほんとにつまんない。ぶっちゃけ今の映画が面白いって言ってる連中は、Vtuberのポルノモドキみたいな映画があったらそれを傑作と手放しで喜ぶような感受性の持ち主だ。そういうのの声が大きくなった時点で、オタク文化は衰退期に入ったなぁと思う。
まぁそれはそれとして、ドラえもんあるあるなんだけど、SFに興味のあるF先生による蘊蓄パートが面白い。テーマ曲「雲が行くのは」も最高だ。また、この話は竜の騎士の翻案という見方もできる。それ以外はまぁ…どうでもいいかな。