概要:人工的に作られたクローンポケモン「ミュウツー」。自らの存在意義を証明するべく人類へ挑戦する。
感想:おそらく初代の頃にはまだ生まれていないポケモンプレイヤーも今は多いのだろう。そして彼らはこう思う。「説教臭いだけ、過大評価だ、オッサンオバサンの思い出補正」。
これに関しては当時の世相を知るべきだろう。まずミュウとミュウツーというのが非常に特別感のあるポケモンだった点。次に当時、クローン羊の「ドリー」の誕生が世界的なニュースになっており、生命倫理に関する議論がかなり熱く、子供でもその言わんとしていることをなんとなく理解していた点。ポケモンという当時最強だった新興ブランドで織りなされる生命倫理に関するシリアスな話というのは、当時の少年たちにとって衝撃そのものだった。なにせ彼らが見ている映画なんて、どれだけ説教臭くてもドラえもんのアニマル惑星と雲の王国くらいのものなのだ。
この作品はポケモンはアニメの路線が軌道に乗ったことで大ブランドと化したが、そのブランドを確固たるものにしたマイルストーン。ムサシの母親が登場する前日譚のラジオドラマと、後日談「ミュウツー 我ハココニ在リ」というTVSPがあることからも分かる通り、ポケモンにおける特異点のような話である。まぁ早い話、純粋エンタメしか楽しめないお子様舌のクソガキどもとは一味違った大人っぽい味付けのもんを我らの世代は食えてたってわけ。ガキの舌のまま大人になってる今のオタクには、人気作品の劇場版商法くらいがちょうどいい。
ただ、それを抜きにしても問題点はある。たとえばミュウツーの設定は、元々は「人間の手に負えないほど『狂暴』なポケモンだった」のだが、この作品の大ヒット以降ミュウツーは自我について悩む哲学的なイメージがつくようになった。また、この映画ってぶっちゃけ映像見てるだけだと「クローンとオリジナルが殴り合ってサトシがそれを止めて犠牲になりなんやかんやで生き返って、ミュウツーは同族を連れてどっか行きました」で終わるんですよね。今でこそWikipediaで設定オタクがまとめてくれてるけど、当時の視聴者がそんなもんを知るためには有料のパンフレット買うしかないわけだもの。
生命倫理に関する挑戦みたいな作品で、これはポケモン映画の原点にして最頂点だと思っている。ただそれを人に向けて話すことはない。我々の世代ならそれはもう共通の認識だし、ガキの舌しか持たないオタクが土足で感想踏みにじってくるんだからあえて言うほどのもんじゃない。むしろだんだんとマンネリ化していく中で過小評価されてしまった作品を発掘して紹介することこそ、ポケモンオタクのするべきトークなのだ。