概要:ひまわりは宇宙に幸せと繁栄をもたらす「ヒママター」を持った姫だったということで異星人にさらわれ、お姫様として勝手に祭り上げられてしまう。
感想:本当にダメな部分がいくらでも出てくるというすごい映画。いろんな人がお気持ちをしたためているので、そっちを見てもらえばいいだろう。俺の言いたいのもだいたい同じだ。世間一般でクレしんの最低映画は何かと聞かれたら、おそらくこれだろう。コナンの向日葵、ドラえもんの緑、ポケモンのレシゼク連続視聴、ドラゴンボールの復活のF、ルパンのバビロン。長寿アニメにはそういう枠は必ずある。
俺は長男なので、序盤の「妹が欲しいなんて望んでない」というセリフはよく分かるものだった。確かに兄は妹だか弟だか知らないが、頼んでないというか、欲しいとか欲しくないとか頼んだとしてもそれが両親の心を動かすわけがないのだ。物心ついたら勝手にそこにいたのである。喧嘩すれば毎回年下の方の味方をされるし、妹の食べ残しの残飯処理係みたいに扱われたり、お兄ちゃんなんだからと理不尽に言われたり。弟や妹だって、兄や姉に向けて同じことを思う。いわばきょうだいとは「勝手に家に居ついてる邪魔者」であり、ペットとは明らかに違う存在なのだ。それに対してどう折り合いをつけるかということに年齢一桁の頃に答えを出すのが、子供の精神性の在り方なのである。通じ合って仲良くなるか、さほど仲良くならないまま大人になってしまうか。それは人それぞれだろう。
だから「このセリフはしんのすけらしくない!」と怒る意見に対しては、むしろしんのすけを弘法大使か何かだと思ってないかとあきれるものだった。問題提起としては十分いいと思うんだよ。
だがこのセリフが出た瞬間に、というかポスターの「さよなら、ひまわり」の時点で駄作だなというのがひしひしと伝わってくるのである。劇場版で登場人物の一人が消えるわけないじゃん。やっぱり家族が大事みたいな、そういう家族愛の押し付け系の映画なんだろうなぁ…まぁクレしんでこれだけ見ないのもよくないし、見るかぁ…。
つまりこの映画、着地点が誰にでもわかるのだ。とにかく人の話を聞かないヒマワリ星人(独善的ってのを示したいのは分かる)にイライラさせられながら、ゴールの決まってる出来レースを見せられ続けるのだ。
そもそもクレしんの映画自体、アダム・ダンの打率みたいに極端なものである。受け付けない人は受け付けないだろう、俺もあんまり好きじゃないし(そもそも一時期の嵐を呼ぶってなんだったのさ)。それを差っ引いてなお特大の不快要素が残り続ける。なんというか、こう…「未来のミライ」みたいな話が俺はすさまじく嫌いなんだけど、それとは別の軸でクレヨンしんちゃんという作品の解像度にも欠けているという結構しょうもない話。まぁそれ言うとオトナ帝国とかアッパレ戦国とかもそうなんだけどね…。