感想:野沢さんのターレスの演技以外、見どころは一切ない。尺稼ぎドラゴンのごり押しがとにかく鬱陶しいし、茶番が多すぎて全然緊張感がない。ボージャックほどじゃないが、ただでさえ薄い本編に尺を伸ばす部分がたくさん追加されている。正直脱力と倦怠感がひどくて見るに堪えない、クウラやスラッグやブロリーはこれに比べれば神のごとき面白さ。
ただ擁護しておくと、これでもルパン三世の「バビロンの黄金伝説」よりは面白いのである。バビロンはこれが100分、つまり1.6倍の長さで続く上に声優の演じ分けを聞き比べるという楽しみ方さえできない。バビロンは冗談抜きで「見る拷問」である。こちらは悟空VSターレスに悟飯の演技もあって、野沢さんの演技力に感服する。野沢キャラは声質は同じなのに演じ方が微妙に違ってて、声優ってのはすげぇもんだなとしみじみ思うのだ。その点だけは本当に見どころだと思う。
これより見どころのない映画はたくさんある。ただ、それはこの映画が面白いという理由にはならない。バビロンより面白いって、それ「商業映像として最低限の条件はギリギリ満たしている」みたいな評価だからね。
ドラゴンボールのアニメで嫌だったのが、いわゆる人気キャラ、推していきたいキャラであるサイヤ人連中+ピッコロ以外が過剰なレベルで陳腐なキャラにされていく点だ。原作だと亀仙人は「スケベジジイだが、その実態は武を「力比べに勝つ」ではなく「心を豊かにして生きる」ために用いる超然とした人」だし、チチも教育ママではあるが「息子が世界の平和のためにすりつぶされるより、元気で生きていてほしいと願うごく普通の母親」なのだ。この2人がアニメだと「単なる空気の読めないスケベジジイ、自分を超人だと思い込んでいるお邪魔キャラ」だとか「お受験ママ(当時の世相でものすごく批判されていた)で世界平和よりお受験が大事な分からず屋」だとかにされているわけで、物語の中で存在する必要性が一切ないんですよね。ブロリーMADのクズロットやクズ悟飯みたいなキャラは、MADだと原作とのギャップが笑いを呼ぶわけだが、原作の時点でそんなことをしたらヘイトをためるだけ。その一例のアニオリ改変と言えるだろう。
ミスター・サタンといいヤムチャといい、原作の時点でコメディリリーフではあったが引き延ばしのために無意味に設定を盛られて魅力を殺され、悟空やベジータを持ち上げるためだけの舞台装置と化してしまったキャラがたくさんいる。こんなことを続けてたから、GTが惨憺たる有様になったんじゃないかなぁ…90年代のドラゴンボールは、コンテンツが生き残ることだけを考えた結果コンテンツが死んだ、いわば死病の鯨だったのだと思えてならない。