1日1本のアニメ映画を要求する!

嫌いな小説は森絵都の「カラフル」

202.ドラゴンボールZ 地球まるごと超決戦(ターレス) E

感想:野沢さんのターレスの演技以外、見どころは一切ない。尺稼ぎドラゴンのごり押しがとにかく鬱陶しいし、茶番が多すぎて全然緊張感がない。ボージャックほどじゃないが、ただでさえ薄い本編に尺を伸ばす部分がたくさん追加されている。正直脱力と倦怠感がひどくて見るに堪えない、クウラやスラッグやブロリーはこれに比べれば神のごとき面白さ。
ただ擁護しておくと、これでもルパン三世の「バビロンの黄金伝説」よりは面白いのである。バビロンはこれが100分、つまり1.6倍の長さで続く上に声優の演じ分けを聞き比べるという楽しみ方さえできない。バビロンは冗談抜きで「見る拷問」である。こちらは悟空VSターレスに悟飯の演技もあって、野沢さんの演技力に感服する。野沢キャラは声質は同じなのに演じ方が微妙に違ってて、声優ってのはすげぇもんだなとしみじみ思うのだ。その点だけは本当に見どころだと思う。
これより見どころのない映画はたくさんある。ただ、それはこの映画が面白いという理由にはならない。バビロンより面白いって、それ「商業映像として最低限の条件はギリギリ満たしている」みたいな評価だからね。


ドラゴンボールのアニメで嫌だったのが、いわゆる人気キャラ、推していきたいキャラであるサイヤ人連中+ピッコロ以外が過剰なレベルで陳腐なキャラにされていく点だ。原作だと亀仙人は「スケベジジイだが、その実態は武を「力比べに勝つ」ではなく「心を豊かにして生きる」ために用いる超然とした人」だし、チチも教育ママではあるが「息子が世界の平和のためにすりつぶされるより、元気で生きていてほしいと願うごく普通の母親」なのだ。この2人がアニメだと「単なる空気の読めないスケベジジイ、自分を超人だと思い込んでいるお邪魔キャラ」だとか「お受験ママ(当時の世相でものすごく批判されていた)で世界平和よりお受験が大事な分からず屋」だとかにされているわけで、物語の中で存在する必要性が一切ないんですよね。ブロリーMADのクズロットやクズ悟飯みたいなキャラは、MADだと原作とのギャップが笑いを呼ぶわけだが、原作の時点でそんなことをしたらヘイトをためるだけ。その一例のアニオリ改変と言えるだろう。
ミスター・サタンといいヤムチャといい、原作の時点でコメディリリーフではあったが引き延ばしのために無意味に設定を盛られて魅力を殺され、悟空やベジータを持ち上げるためだけの舞台装置と化してしまったキャラがたくさんいる。こんなことを続けてたから、GTが惨憺たる有様になったんじゃないかなぁ…90年代のドラゴンボールは、コンテンツが生き残ることだけを考えた結果コンテンツが死んだ、いわば死病の鯨だったのだと思えてならない。

201.ドラゴンボールZ この世で一番強いヤツ(Dr.ウイロー) D

感想:つまんなかったです(それ以外の感想がまったく浮かんでこない)
マジで見どころはどこなんだよ、亀仙人のじっちゃんが申し訳程度に活躍していることか?
亀仙人が不当に弱くなってんの、本当に悲しくて…俺はピッコロ大魔王編が一番好きだから、ドラゴンボールZ以降は魅力的な部分が全部そぎ落とされてて本当に悲しくなる。

200.言の葉の庭 S★

感想:この映画って言ってしまえば、40分くらいがクライマックスのシーンまでのタメという、ディズニーシーのタワーオブテラーみたいな映画である。
45分の短めの映画で、非常に現実にそくした話。青臭い少年と、それになんとなく惹かれていくダメ女という最悪な図式。暗い「耳をすませば」、現代的な「海がきこえる」というか、秒速がちょっとセンチメンタルすぎたのを恋愛脳としてアプローチしている感じというか、おねショタというか…。
ぶっちゃけラストの告白のシーンだけ見てればいい、みたいなところはあるんだけど、あの一瞬からの「Rain」が本当に美しいんですよね。夕日が突然さして、そこで感極まったように抱き着いて、花澤香菜の泣きの演技と表情の妙と新海誠のセリフセンスが組み合わさって、そこから「Rain」で5分の間に雨上がりのような余韻を残してくれるという素晴らしい演出につながっていく。音楽の使い方も効果的で、環境音の多さも素晴らしい。そうやって引き込まれて、ぐっとくるラストにしあがっているという。
刺さる人には相当に刺さると思うが、刺さらない人にはまったく刺さらない、そういうかなり極端な映画だと思う。

199.ドラゴンボールZ 超戦士撃破!!勝つのはオレだ(バイオブロリー) E

感想:前作は曲がりなりにもブロリーが出ていた。これはブロリーの名前だけ借りた駄作。
感想は以上です。

俺って子供(悟天とかひまわり、トゲピーとか)や、かわいい動物系マスコット(ハイヤードラゴン、魔法少女アニメの淫獣枠)のキャラって昔から嫌いだったんですよね。あいつらって別に物語の中で存在させる必然性がない。表現の規制問題のせいで、殺されたり殴られたりするってことが一切なく、その代わりに真面目に生きているキャラクターがひどい目に遭わされる。
で、聖域化するキャラが存在する理由は商業的な事情でしかなく、物語に対しては完全なノイズにすぎない。絶対にひどい目に遭わない聖域化したキャラであり、どれだけピンチになろうとも「最後は絶対助かるんだろ?」とすさまじく白けた気分になる。これらのキャラクターは、存在するだけで物語の緊張感を一気に陳腐化させてしまう。言ってしまえば出来の悪い特撮でうつっている吊るし紐やファスナーみたいなもんだ。
俺は物語を楽しみたいのだ。ブロリーのような理不尽なキャラは、悟空やベジータのことはいたぶっても、悟天やトランクスにはやるとしてもエネルギー弾で吹き飛ばす程度になるわけで。そりゃアニメで女や子供や老人やペットをいたぶるシーンなんて見たくないってのもわかるんだけど、「それをしないでモブ男や女戦士に執拗に攻撃する『理不尽な悪役』」なんて政治的事情にご配慮してるわけじゃん。やってることは社会の庇護を得られない相手をなぶるだけという、変則的な弱いものいじめでしかない。だからものすごく弱そうに見える。
少し前に「女を殴らないフレイザード」のことが話題になったけれど、フレイザードの魅力ってそういう物語のお約束を破ってくる形で読者に絶望感を与えるところにもあったわけで、こういう形で「聖域」がちらついてしまうと物語への没入感は一気に落ちる。そして聖域が形を成して動いているキャラは、存在しているだけで物語への没入感を削いでしまう。リョナが見たいとか男女平等だとかポリコレがどうっていう幼稚な話ではなく、戦場の理不尽さを暴力をふるうコマとその後の残酷なセリフで表してしまい、だからこそ人気になったキャラだと思うのだ。それを取り除いたら魅力なんて何も残っていないじゃないかって話をしたい。その域で話せるオタクって案外いないのよね。
表現の規制というのも、何か信念があってやっていることというより、そこにいちゃもんをつけてくる人間を刺激しないようにしているっていう要素が強くてねぇ…。商業より同人誌の方が好きだって話を以前述べたけれど、同人誌がアニメ化したというすさまじい異色作「灰羽連盟」とかはタバコを吸うメインヒロインとか自殺という重苦しいテーマとかがあって面白かったよね。商業じゃ無理でしょ。
この理由でドキンちゃんも嫌いで、逆に「子供が軸になっていたり、暴力ではない形でひどい目に遭う」というキャラは嫌いにはならない。クレしんとかぼのぼののイメージ。21エモンのモンガーとか、ポケモンアニメのピカチュウみたいなキャラは「主人公といっしょに程よくひどい目に遭う」タイプなので安心感がある。ドラえもんに至っては劇場版で壊されたり廃棄されたりすることもあり、その時の絶望感はすごい。物語ってのは表現規制との闘いだが、その表現規制との闘いに果敢に挑んだり、逆にそれが見えないようにしている作品は結構好きだ。

フリーザ編の悟飯は本当にいい塩梅で、悟空とは違った形の優しさを主体にピッコロをうまくZ戦士枠になじませていく潤滑剤であり、強すぎるせいで動かしにくい悟空に代わって物語の主人公として活躍していた。
「子供だから守護られなきゃいけない」じゃダメなのだ。「子供なりに知恵や理屈を全力でしぼって大人をやりこめる」から面白い。この映画は前者。ブロリーMADとかでも無視されている理由は一度見ればいやというほどわかる。

198.ドラゴンボールZ 危険なふたり!超戦士はねむれない(ブロリー2) E

感想:主題歌がWe gotta powerになってからは見なくていい。時間を無駄にした。
ブロリーの映画の魅力はMAD素材を除くと「悟空たちが束になってもかなわない理不尽な敵」「パラガスの悲哀」あたりなんだけど、ブロリー2である今作では、前半部のクソガキコンビが全力でそれを陳腐化させていく。つまり「唯一の見どころを自分からつぶしていく」というクソ映画で、これに表現の問題である「子供は傷つかない」という聖域化まであるので一切緊張感がない。つまりブロリーがいくら殺意の高い攻撃をしても、「ピッコロの横槍でそれを誤魔化す」前作と異なり、今作は「はいばりあーききませーん」とやってることがまったく変わらない。
ハンバーグ以外食えたもんじゃないハンバーグ定食の、そのハンバーグの製造業者を変えて「おいしくなって新登場!」したらどうなるか?その答えのような映画。

ブロリーMADってもしかしたら、スタッフ自身が急激に陳腐化させたキャラクターの魅力をファンメイドによってよみがえらせようという、正しい二次創作の在り方なのかもしれない。そういうかつてのオタクの温度が残っているから、ブロリーMADをたまに猛烈に見たくなるのやもしれぬ。
ハムトット先生の「ブロリーがタイムパトロールになったら」シリーズは結構面白くて、あれでゲストとして登場した映画キャラのガーリックJr.、スラッグ、ターレス、クウラはかなりキャラが立ってるので、映画自体は見どころがあるかなぁ、とは思う。戦闘シーンだけならターレスやクウラは普通に面白いしね。スラッグは逆に戦闘シーンがあんまりおもしろくないんだけど、その分キャラの立ち方がすごい。ボージャックとかジャネンパはその点…ねぇ…?熱のあるファンメイド作品って原作にない味が出るから、俺はそういうのを見るのが大好きです。漫画は商業より同人誌、ってタイプ。でも今の二次創作は単なるAI製ポルノと絵師の小遣い稼ぎの素材だからなぁ…。

197.ドラゴンボールZ 燃えつきろ!!熱戦・烈戦・超激戦(ブロリー) D

感想:映画自体はつまらないんだけど、2つの点で魅力がある。1つがブロリーという極めて理不尽な、原作とかけ離れた悪魔的なキャラ。「悟空を才能で圧倒している理不尽な敵」という旨味がふんだんにあふれている。細かい演技を見てみると、家弓家正さんの妙味が光る。一人用のポッドに乗り込む前の一連の流れは、ブロリーに同情し未練を残しつつも、サイヤ人特有の冷血な判断を下すパラガスの心理がにじみ出ている。レジェンド声優の演技力もあるんだけど、他の作品に比べるとちゃんと「表現」自体が行われているってのがいいよね。
そしてもう1つが「ブロリーMAD」と呼ばれる謎の流行。コマンドーや野獣先輩の本編のごとく「語録しか言ってない」のだ。パラガスのセリフなんて出るたびに吹く。
映画自体は「亀仙人いらないよね」「ベジータがヘタレすぎててイライラする」「この決着はひどい」みたいな感じで、ぶっちゃけボージャックよりは楽しいかな程度。ほんとにこの3つの要素は、アンゴルだのモアだのタコ学者だのシャモ星人だのというほぼモブキャラでさえ使いこなすブロリーMADでも黙殺されているだけのことはある。特に前2つは3~5分に1回入って話のテンポをめちゃくちゃに削ぐのですごくイライラするのだ。
しかしよくもまぁこの映画からあんなわけのわからん文化を生み出せたものだ…。いや、むしろブロリーというキャラが魅力的すぎたからこそ、他の虚無映画と一線を画した評価を得ているのかもしれない。何にせよドラゴンボールの映画でTier表を作る際に、虚無映画とつまらない映画、あるいはそれなりのものとつまらないものの間に「ブロリー」という専用ランクを作っていいかもしれない、そんな作品。つまらない映画をたった一人で面白くしてしまえているブロリーの理不尽感がすごい。「どうやって倒すんだよこんな奴!」に対してめちゃくちゃすっきりしない幕切れだからこそ、「ブロリーこそ最強」っていう認識がある程度納得いく共通認識になってるんじゃないかな、と思うのだ。
そして旧ブロリーは理不尽な破壊神であると同時に、己の中の衝動を抑えきれない「癇癪持ちの子供」のような一面もあるので、その人間臭さも魅力があるのかも。

ブロリーのブラッシュアップは賛否両論だけど、俺はあれはあれでいいと思ってます。
鳥さが洋菓子屋だとすれば、バーダックや旧ブロリーは中国のパイナップルのお菓子みたいな感じで、「鳥さの味ではないがあれはあれでいいよね」「鳥さじゃこの味は出せないよね」って感じなのだ。それが鳥さの手にかかったら、「パイナップルのフルーツポンチとカステラみたいなシフォンケーキ」って組み合わせになっちゃうのはしょうがないと思うんだよ。うまいとかまずいで論じるべきであって、菓子の定義云々で話すのは明らかにずれている。そして困ったことにネットの議論ってのは菓子の定義を俎上に置いて「俺の方が賢いので」とアピールしながら相手を殴ることがほとんどだ。
つまり「ドラゴンボールらしさ」みたいな便利な定義で相手を殴るだけのものになっている。他人と感想を共有することがいかに無意味かがよく分かる。感想ってのは、自分が読み返せる形にしておけばそれでいいのだ。

196.ドラゴンボールZ 激突!!100億パワーの戦士たち(メタルクウラ) D

感想:小さいころ、再生するメタルクウラのシーンを見て「え、これどうやって倒すの…?」という疑問をいだいたのを覚えている。さらにベジータと悟空が協力してやっと倒したメタルクウラが地平を覆いつくすように大量に出てきて絶望感を抱いたのも。
結末を忘れていたんだが納得した。ぶっちゃけそこ以外は見どころが一切ないのだ。序盤はウーロンと亀仙人がテンポを削ぐし、大人になって見ると序盤は止め絵ばっかで全然楽しくない…。

当ブログはS、A~Eの6段階での評価としている。Dは「頼まれても二度目を見ることはないだろう(できる限り避ける)」、Eは「金を積まれても見ることを断る(全力で拒む)」って感じの差。
劇場版ドラゴンボールは、正直90年代のダメ映画の見本市みたいなところがあると思う。