1日1本のアニメ映画を要求する!

嫌いな小説は森絵都の「カラフル」

179.ハロー恐竜キッズ!! D

感想:セワシを軸に恐竜を描く。この時代はまだ「羽毛恐竜」の学説が知れ渡っていなかったことを考えると結構感慨深いストーリーである。だがまぁ…オーソドックスな短編って感じで、だいぶ間延びしてる。
やっぱセワシよりものび太に近いものを期待するわけでさ…。

178.ドラミちゃん アララ少年山賊団! C

概要:セワシが探査ロボット「アララ」に調査をさせたところ、間抜けなご先祖様がもう1人戦国の世にいたことが明らかになる。山賊に襲われていたのが怖くなって逃げてきたというアララを連れ、ドラミはその先祖「のび平」の調査に向かう。のび平は「タケゾウ(ジャイアン)」の率いる山賊団の一員となっていた。不作に加えてあくどい庄屋にこってり年貢を絞られ、子供たちはまともに生きるのが厭になって山賊を始め、彼らは苦しいながらも自給自足の暮らしを満喫していた。ドラミは山賊に混ざって、村を苦しめる領主(スネ夫一家)から米俵を奪う手伝いをする。


感想:これドラビアンナイトと同時上映だったみたいだね。…ドラビアンナイトより全然面白いじゃん!
「創世日記」とかが楽しめる人だったらたまらないやつ。特にドジだがかなり強気なのび太(のび平)、剛毅な感じのしずかちゃん(おしず)などの演じ分けがすごい。
あと合戦シーンがかなり真に迫ってて、網でとらえて投石でいたぶるという。さすがにシャレになってねぇ!ってなる。ドラミちゃんこんな話だったのね…ドラえもんズは見たんだけどなぁ。
まぁなんか、当時の完全に最強ブランドと化したドラえもんにおける新しい商品展開や、ちょっとネタ切れ感やぐだぐだ感が出てきた中で新しい軸を模索していた頃という感じがする。結局この時期の短編枠は、ドラえもんズともどもわさドラというか21世紀に入ってからはなかったことにされてしまったのが悲しいところ。

177.ドラミちゃん ミニドラSOS C

概要:1989年。のび太の悪戯と悪筆が原因で、「ミニドラ」が2011年の野比家に誤配送されてしまう。のび太としずかの息子、わんぱく坊主の「ノビスケ」は、家に届いた謎の小包を、弱気で温厚な「ジャイチビ(ヤサシ、ジャイアンの息子)」に押し付ける。その小包は「ミニドラ」という赤い小型の「ドララ!」しか話さないロボットだった。「スネキ(スネ夫の息子)」とジャイチビはミニドラの力を借りて普段の仕返しをするが、ノビスケもそれに混ざってミニドラと遊ぶ。取り戻しに来たドラミから逃げようとするが、そこでひと悶着。

感想:「ミニドラ 無能 トラブルメーカー」 2011年がこんなかっこいい世界に…。
人妻となったしずかちゃんがやたら色っぽい。性格がシャッフルされたような3人の織り成すトラブルがなかなか面白く、特に「悪知恵はのび太スネ夫、性格はジャイアン」になったノビスケが新鮮である。へー、こんな話だったのね…。
普段のドラえもんとまったく味付けの異なる話なので見てて楽しい。

176.ぼく桃太郎のなんなのさ B

概要:夏休みの宿題。社会科の宿題をするために「タイムカメラ」でこの町の歴史を調べることにしたのび太は、そこにおとぎ話の登場人物「桃太郎」がうつっているのを見て驚く。同じころ、オランダから来た旅行者が空き地に行き倒れていた。彼は自分の家に600年ほど伝わっていたという「絵画」を頼りに日本に来たというが、どう見ても『桃太郎とおともの3匹の写真』である。この不思議な出来事を調べに、ドラえもんたちは642年前の日本へ向かった。


感想:めちゃくちゃ時代を感じる話。
実はずっと「桃太郎なんなのさ」だと思ってたのだが、「の」が入るのね!このタイトルは「自分が桃太郎だった!?」って感じなのか…。
原作にも「名刀電光丸を勝手に持って行ってしまった侍が後に宮本武蔵となった」みたいな話があって、実にF先生ライクな話。そして何より、しずかちゃんがものすごくおてんばなのがめちゃくちゃ新鮮。総合的に見たらジャイアンより強気じゃないか!?
確かこの話、ビデオで「怪物くん」と一緒に入ってたんですよね!ああ、懐かしい…。

175.ワンニャン時空伝 B

概要:河川敷でのび太が野球のボールを探していると、子犬がボールを拾ってくれた。しかし直後その犬は溺れてしまう。のび太が助けてあげると、子犬はすっかりなついてしまう。今更捨てられないのび太は「イチ」と名付けてこっそり飼うが、そのうち捨て猫の「ズブ」をはじめ町の捨てられたペットたちが集まってしまい飼えなくなった。のび太は独断で3億年前に行き、そこで「進化退化光線銃」でイチの知能を進化させて「無料食糧製造機」の使い方を教え、明日必ずここに来ると約束して帰っていく。翌日ドラえもんはそのことを叱りながら3億年前に向かうが、「時空のねじれ」によってその1000年後に漂着。そこには擬人化された犬や猫がきわめて高度な文明を持った国を作っていた。そこでストリートチルドレン暮らしをしている、イチそっくりな犬「ハチ」と出会う。なんやかんやあってハチは1000年前のイチがのび太に会いたい一心でタイムマシンを独学で製造し、しかし時空のねじれに巻き込まれて1000年後の世界で幼児化した姿で漂着してしまった姿なのだと判明。2人の絆がひと時の出会いをもたらし、犬猫文明の者たちは宇宙へと旅立っていった。


感想:原作の名エピソードのひとつ「のら犬イチの国」を下地にした映画。原作のオチが面白く、寺院跡から発見された神の彫刻(今作ではノラジウムの塊になっている像)がじんわりとした余韻を与える。映画にできるだけのポテンシャルはあるのだが、やっぱり原作の素朴な味付けが好きだ。「のび太の像」の回収がちょっと強引なんだよね。
何度かアニメ化もされているんだけど、このエピソードに関しては原作が一番面白い。全体的にそっけなくて、最後の「神様の像」で、国の始祖となるイチが筆舌に尽くせないほどの深い感謝の念を抱いていたことをたった1コマで表してしまう。ギャグ色を持たせつつも奇妙な余韻を残す、まさに鬼才の腕が出ている。アニメ化されたものはちょっとウェットすぎて、原作の味を損なっていると思うのだ。ワンニャン時空伝も含めてね。
だがこの映画はのぶドラ世代にとって「ひとつの時代の終わり」を意味する、少しせつないものである。それだけに集大成感がすごく、様々な部分にドラえもんの、そしてその同時期を走り続けた藤子不二雄アニメのネタが仕込まれている。例えば念力目薬の「念力集中!」は怪物くんだし、この時期のお涙短編の要素も含まれている。「ドラえも~ん!」から始まるお約束をちょっと変えて「のび太くぅ~ん!」にしてたりと、最後だからと言わんばかりの型破りさもある。
やっぱもう声優さんに覇気がないんだけど、それでもやっぱ旧ドラ陣が最後とばかりに気合を入れて作っている作品なのでじんわりとこみあげて来るものがある。あとしずかちゃんが萌えキャラ化してたり、バトルシーンに気合が入っていたりというのは後のわさドラへの経験値になっている。だからこの映画は本当に、集大成というか、打ち上げというか、そういう感じの少しせつない空気が満ち満ちていて…シナリオそのものを楽しむ映画ではなく、小ネタや裏事情に思いをはせて見る映画、って感じなのだ。
いわばこの映画は、怪物くん、ハットリくんキテレツ大百科パーマン…そういったひとつの時代の終わりを意味している。長寿コンテンツもここ最近はすっかりあり方が変わりつつある。彼らが育ててくれたものと向き合う日が来ている。向き合えずに引き延ばしばかりになって死んでしまったアニメもある。死ぬことすら許されないアニメもある。昔に終わったものが今更リバイバルすることも多い。その中で、ドラえもんは旧時代の殻を脱ぎ捨てて新しい域へと到達し、進化を続けた。脱ぎ捨てられずに縮小したコンテンツもあるし、逆に衣替えして再び伸びたコンテンツもある。だけどちゃんと「アニメーションとして面白い」域に到達しているのは、ドラえもんくらいしかないよなぁと思うのである。
2024年、のび太役の小原乃梨子ドラえもん役の大山のぶ代が鬼籍に入った。ひとつの時代の終わりを、どうしても感じざるを得ない。小原乃梨子未来少年コナンとかでも熱演してたしね…いやなものだね、生きるってことは思い出を一つ一つ失うことなのだ。


この映画のシナリオに関しては、短いながらも情報量が濃すぎない程度に描いていてよかったと思うのだが、人間不信を強く抱いてしまったズブとの和解がまったくなかったのがちょっと悲しい。身勝手な飼い主が悪いというのが回収されなくて、悪役になるために生まれてしまったキャラみたいな感じで…。
あと、この映画に直接関係する話ではないのだけど、ザ・ドラえもんズがこの集大成の前に抹消されているのは少し悲しい。別紙壮一などのお偉方や異常F愛者が、このドラえもんズ企画を「これはドラえもんじゃない」ととても嫌っていたからだというが…。よく「ステレオタイプが今のポリコレ以上に合わない」と言われるけど、オタクの中途半端な学はむしろ無学と大差ないなぁと思うのだ。

174.ふしぎ風使い D

概要:「台風のフー子」を原本に据え、風と共に生きる辺境の民族「風の民」との交流を描く。
感想:いろんな意味で「もうぐだぐだじゃねーか!」ってなる話。古い鶏卵みたいな感じで話をまとめる紐が弱くなってる感じの。
でも作画が全体的にぬるぬるしてるというか、3Dなのかな。21世紀に入ってドラえもんというブランドがどう存続していくかというのを必死に模索しつつ、新しい技術を試しているってのが伝わってくる。舞台もこれまでのSFチックなのから、トライバルな感じになっていて、F先生が描けなかった新しいドラえもんに挑戦しようとしている。シナリオもスネ夫を悪役に据えることでマンネリ化を打破しようとしているのが分かる。
ただその上で言うんだけど、これまで積み重ねてきたもののウェイトが大きすぎて、それらを跳ねのけられるほどの出来にはなっていない。スネ夫の悪党化も銀河超特急でやってることだし、風の意匠も後世だと「翼の勇者たち」と混ざるんですよね。タイトル聞いて「あー見た見た!これだろ?」って別の映画出しちゃうやつ。
決して悪い話ではないのだが、ヘビーローテのさなかに見るとどうしても「ああ、またか」みたいになっちゃうのだ。こう考えてみると、旧ドラ末期の良作として名高い「太陽王伝説」と「ワンニャン時空伝」ってかなり頑張ってるんだなぁ…。

173.のび太の新恐竜 C

概要:小学生向けの化石発掘体験に参加したのび太は、そこで偶然卵の化石のような石ころを見つけた。勝手に持って帰ってタイムふろしきで戻したところ、そこからは双子の恐竜、おてんばなミューとおとなしいキューが誕生し、ドラえもんのミニチュアジオラマセットを使って育てることになる。時を経てミューは滑空できるようになったが、キューはいつまでもそれができない。そして大きくなった2匹の恐竜が話題になってしまい、のび太たちはタイムマシンで過去の世界へ帰すことになる。しかし彼らが訪れた6600万年前の地球は、恐竜を滅ぼす隕石が落ちてくる時代だった。
備考:2006と新恐竜はまったくの別物。

感想:正確には「2006年からさらに刷新した作品」で、その2006とも大筋が似てるだけ。リメイクといえばリメイクなのだが、実際にはビーフストロガノフと肉じゃが並に別物。単純な2回目を作るというより、ポケモンで言うとFRLGとピカブイみたいな実験的な要素がふんだんに詰め込まれている。
そのため新恐竜の話をする際はこの区別をつけておかないと話が絶対にこんがらがる。
やっぱり令和的にリメイクしてあって、のび太が恐竜の卵を見つける理由が「夏休みの小学生化石発掘イベントに参加した際に偶然拾う」だとか、恐竜のデザインがいわゆる「羽毛恐竜」になっていたりだとか(それに伴ってシナリオもだいぶ変わっている)、白亜紀に来る際にも「テキオー灯」系の道具が使われたりだとか。道具もキャンピングセットがあんまり未来感がなくなってしまったせいか、「キャンピングバルーン」という気球みたいな道具になってるし。
話もかなりリモデルされていて、卵を孵すために温めるシーンがバッサリ削られて、そこを育雛パートにあてがっている。恐竜も優等生と劣等生の2匹になり、恐竜との絆をねっとりと結んでいくのを絶滅という運命が引き裂こうとするって感じになってる。令和雑学を下地にした解説パートとかもあって、2006が「のび太の恐竜のリメイク」なら、こちらはまさしく「新・のび太の恐竜」。だから連続視聴すると目立つんだけど、7作くらい間をおいてみると全くの別物って感じになる。
ただ正直…かつてのピー助で完成されたプロットをリメイクしてもなぁって気はする。あんまりこういう「かわいいだろ」って感じのマスコット化されたキャラが好きじゃなくて…。あとTPの描かれ方がだいぶ違ったり、悪役不在の話なのでお子様向けではなかったり。あと最後のキューは空を「滑空する」ではなく「飛翔する」個体だから守護られたってのが子供には分からないんじゃないかな…。
なんにせよ、「のび太の創世日記」とか、ほかにも日本誕生やネジ巻き都市の前半が好きなタイプなら好きなんじゃないかな、って感じ。逆に日本誕生の後半とか、悪役を爽快にやっつける鉄人兵団や宇宙小戦争、旧恐竜とかが好きだとものすごく物足りないかも。TVSPっぽさは抜けないが、かなり独特な味付けになってて退屈はしない。