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嫌いな小説は森絵都の「カラフル」

125.オトナ帝国の逆襲 E

概要:親世代が「20世紀博」にドハマりしてしまい、幼稚園児たちは退屈で仕方がない。ある日20世紀博のテレビCMを見た大人たちは幼児返りを起こしてしまい、20世紀博の会場へ向かってしまう。大人を助けて21世紀を取り戻すべく、かすかべ防衛隊の面々は立ち上がった。

感想:多分これを読んでいる人の99%くらいは、この映画を名作だと思っているのだろう。
だが昔の俺は「嫌いな映画はなんですか?」と言われた際、「オトナ帝国、おもひでぽろぽろ未来のミライ」と淀みなく答えるくらい嫌いだった。
だからここからの感想は相当気分を害するだろう。読まないでいただきたい。ただ、俺はこの映画が本当に大嫌いなのだ。
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生理的に受け付けない。そして「こういう話を好きになれる感性を持ち合わせたかった」としみじみ思う。
こういう「昔はよかった。温かみがあった」系の話ってオチが必ず「でも今だって素晴らしいんだ。前を向いて、未来のために生きていこう!」で決まっている。これじゃポルノと変わんねーじゃねーか。さらに昔の上澄みだけを取り出してるんだからそりゃ昔がいいものに思えるに決まってるのだ。たとえば八百屋との付き合いで買いたくもない野菜を買わされるような社会にうんざりしてたからこそ、スーパーマーケットやコンビニエンスストアが隆盛したんじゃないのか?窓を開ければ家畜の糞と畑の肥料のにおいが漂ってくるような土地に住みたくないから都会が過密になったんじゃないのか?その住宅需要に合わせて開発が進んで現代があるのではないのか?なぜ家電に契約しない家が増えたのか?レコードや白熱灯が社会から排除されていく理由は?駅の伝言板やポケベルの使い方を知っているか?そういう上澄みの下にあるよどみから目を背けて、単になんとなく畳と味噌汁の匂いのイメージだけで昔を語る。
それじゃ煌野一人の退魔部シリーズとさほど変わらんでしょう。あの世界だって突き詰めれば性病とかフェミニズムとか出てくるでしょうし、ああいう女体だって現実にはなまぐさいのでしょうが、シコるために不要なので切り捨てるわけです。それと同じことを、この手の「昔はよかった映画」はおこなっているんですよ。
そしてさらに野原ひろしの回想シーンや押しつけがましい家族愛…あんなもん日本人的なオナニズムです。あれでぐっとくる人ってよほど悩みのない恵まれすぎた人生を送ってたんでしょうね。風邪より重い病気にかかったことなんてないでしょ?あの東京タワー走るシーンも嫌でしたよ、壮大な演出と泣きの演技と荘厳な音楽で人間なんて簡単にもらい泣きするんだ。だからこの映画って誘蛾灯みたいなもんで、人間の生理的な反応を計算して作られたもののような不気味な映画なのだ。
何より、別にクレしんでやる必要がないって点。アッパレの合戦再現は「もうクレしんか、ポンポさんみたいな蘊蓄漫画の映像化くらいでしかできない」みたいなところがあったが、昭和期なんてそれこそ「おもひでぽろぽろ」「三丁目の夕日」みたいな映画もあれば、「ちびまる子ちゃん」「サザエさん」みたいな形での映像化だってあるわけでさ。
そして批判する人間を一人だって見たことはない。日本人ならこれに絶対感動するはずだ!って。この映画の一番不気味なところって、猫も杓子も名作名作とうるさいところだ。なんだか運動部が下手に勝ち上がって「みんなで応援に行きましょう!」みたいなのを強要する、あの不気味な同調圧力を感じる。そんなわけで俺はこの映画がほんとに嫌い。逆張りとかじゃなく、単に気味が悪いのだ。
でも我ながら意外なのが、愛好家の精神性をさんざんに罵倒するレベルで生理的に受け付けない映画でありながら「おもひでぽろぽろ」がさらにその下を行くことである。…マジで何なんだあの映画。アナフィラキシーショックか何かだったんだろうか。実際ここでD評価を下した映画の中で何か見ろという拷問をされるのなら、藁にも縋る思いでこれを見ます。毒と汚物と病原体の中から選ぶような気分だけど、まぁ生理的に「不愉快」なだけで我慢自体はできるからね…途中で正気を失うレベルのストレスを得たりはしないのだ。